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明治維新と日本人

みなさんこんにちは。

最近よくこんなことを考えます・・・

アジアの中でなぜ日本だけが維新を実現し、
そのあと短期間のうちに、欧米の先進国に
追いつくことができたのか・・・

逆にいえば我が国と地理的に近い韓国や中国で、
なぜ明治維新のような変革が起きなかったのか・・・

例えば当時の我が国と清国を比べてみると
どうでしょう。

江戸幕府も清朝も成立から250年ほどを経て
政権の弱体化がはなはだしく、当時すでに命運が
尽きようとしていたのかも知れません、その点では当時の日本も
清も似たり寄ったりの事情だったでしょう。

違いといえば外部からの侵入者に対する反応で、
それが両者の命運を分けたと私は思います。

清朝は当時ヨーロッパの強国の侵入を受けながらも
内紛を治められず、その混乱のなか我が国を含めた強国に、
国土を切り刻まれてゆきます。

一方で我が国はどうだったでしょうか。

当時の若者たちは老朽化した江戸幕府を早々に見限り、そして
ヨーロッパやアメリカをまねた新しい政権を作って社会を一新し、
ロシアなど強国の侵入を防ぎました。

しかも政権の移行過程は平和裏で、徳川慶喜に至っては
罪を得ることもなく、逆に爵位を与えられ明治時代を
生きています。

ではなぜ当時の日本人は、政権の内部にいた側も含め、
300年近く続いた政権をやすやすと捨てられたのでしょうか、
そしてなぜ欧米基準の新しい政権を立てられたのでしょうか・・

反対に当時の清国や朝鮮は、なぜ同様のことが
できなかったのか・・

日本人は民族の特性として新しいものが好きで、
中国人や韓国人は新しいものが嫌いだからでしょうか。

確かに多少は影響しているかもしれませんが、
昨今の中国や韓国をみていますと、あながちそうとも
言えないような気がします。

それではいったい両者の違いは何なのか・・・

つらつら考えてみますと、つまるところ自己を犠牲にして
公(おおやけ)に尽くす精神という、民族としての根本的な
ところに行き着いてしまわざるをえません。

日本の将来のためという、公に尽くす精神がなければ、
命を捨てても政権を倒すという気概は生まれなかったと思います。

また旧政権側にとっても、日本国全体のためのという公の意識が
なければ、余力を保ちつつ、しかも平和裏に政権を放棄するという
発想には至らなかったのではないでしょうか。

つまり旧政権側とその対抗勢力のあいだで、
日本国全体のためという、公に尽くす精神を共有していたのでは
ないかと思うわけです。

これに対し当時の中国や朝鮮はどうだったでしょうか。

これは決して優劣論ではなないのですが、民族の特質として
個人主義的な志向が強く、身を捨てて公に尽くすという点で、
やはり明治維新的な境地に到達しにくい土壌があったのかも
しれません。

東洋史だけでなく、おそらく世界史的視点でみても、
明治維新ような事例は稀有であり、私たちは150年前の
若者たちがつくったこの歴史を、誇りに思ってよい
のではないかと思ったりします。

では、今回はこのへんで。

(2013年4月23日)






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